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美術豚

アート関連に鼻を突っ込んで居る豚の記録

現代美術分からないなんて言わないよ絶対

現代美術の評価法
現代美術に関わっているからこそ、現代美術について話すのはひどく憂鬱なことだ。
 
というのもコンテンポラリーアート界に漂っているのは、難解風な作品を「分からない」って言えない雰囲気と、「分からない」劣等感、「これ分かるわたしってハイソ」という自意識過剰、「特別な私が皆さんに特別な問題提起を提供いたしますわ」という高慢な選民意識などがミルフィーユのように折り重なって出来上がった度し難き瘴気である。
ギャラリーに足を踏み入れるやいなやホワイトキューブ全体から迫りくる瘴気に、肺を焼かれ胃を絞られるので、瘴気マスクを半分にして貸してくれるナウシカ姫でも同行していない限り、 瘴気と一体になって腐海の生物になるか、 目前の現象を無視するか、どちらかを選ばなければならない。その答えは沈黙、そう、「血を吐きつつ、繰り返し繰り返しその朝を越えてとぶ鳥」になるのだ…え、なんだって?黙れ小僧!…。
 
というナウシカ原作版を読んでいないと微塵も意味がわからないようなドラマが勝手に始まってしまうので、私は専門分野のペインティング系とか工芸とか彫刻とか、そういうアレ(コンセプチュアルアート)が関係ない展示にいくのが常であります。
 
といっても、すべての現代美術的なものがそういう洒落臭い、ケレン味溢れるものではないのは確かです。
その線引きって何なのか?路傍の石と、アートの違いは何なのか?
ということを書こうと思っていたら、とてもよい文章が話題になっていたので
リンクを貼らせていただきます。
https://papacame.com/art-photography(アートと呼ばれる写真と、そうでない写真は一体何が違うのか?)
 
上記のエントリーは主にアート写真について記しているので、ちょっと違う点などもあるとは思いますが、非常に丁寧で分かりやすい記事です。
ただし一万文字超あるので、読むのが面倒な方のために50文字以内で簡潔にまとめますと…。
 
現代アートの価値とは希少であること、そして今までに無かった斬新なコンセプトによる一回性の驚きである。
 
もちろん斬新なコンセプトだったらなんだって良いわけではなく、そもそも一回性(初モノ・オリジナリティ)は非常に重要視されます。
ビジュアルも鮮烈であればなお良いし、メッセージ性も求められたりします。
新しい技法が取り入れられていれば評価されるし、体験型だったり、皮肉を効かせてみたり…と評価ポイントは多岐に渡ります。
なので私はアートを評価するときはH×Hの水見式のように、心のなかに下記のチャートを思い描くことにしています。
 
 
美術豚アート水見式

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真ん中に一回性の象徴である「」を。あとは上から右回りに
  • 」美しさ(フィジカルなもの、内面から輝くうんたらかんたらは除く)
  • 」技法、技術(抽象化、表現力、デフォルメの妙なども含む)
  • インパク
  • 」特別(後述する)
  • 」物語性・メッセージ性
  • 」説得力(コンセプト・文脈など)
 
このチャートは水見式と似ており、隣の項目と関連性が深くなるよう配置しています。
・作品の美しさには技法が深く関与しているし、美しさそのものが説得力足りうる。
・技法は作品のピグメント、テクスチャの扱いや、細部の表現、抽象化やデフォルメなどにあたるが、メッセージ性とはさほど関係ない。
・メッセージ性は説得力に寄与するが、美しさには余り影響が無いし、技法とは更にかけ離れている。
・作品のインパクトは、美しさとか説得力とかそういう次元のアレでは無い。
・「説」は根底に流れるコンセプトが作品にきちんと現れていれば説得力が増すし、アートの文脈と現代の社会性の絡みなどにも関わる為、評価上、扱われやすいポイントだ。
・アートにおけるオリジナリティは「初」の一回性に評点される。
そして、一番説明しづらい「特」について。これは作家本人の魅力みたいなステータスである。
つまり黒人、黄色人種など美術界における異文化であるか。アール・ブリュットのように、本人の障害があるか…イケメン・美女であるか?
おもろい人?学歴は?コミュ力が凄い… 家柄は…。 頭が良い?コネがあるか…などなどちょっと言いづらいところまで含めた部分である。
一番分かりやすい例は「岡本太郎」 この御方はほぼインパクト「衝」と「特」だけで乗り切った感がある。
 
そして、これらの総合ポイントに、一回性という魔物を掛け算することで、アートポイントが決まってゆくわけであります。
 
 
ここで試しにいくつかの例を含めつつ幾つかのアートを、俎に上げて見ようと思います。
ただし、このチャートはあくまで「わかり」やすくする為のモノ、アートの本質は「わからなさ(感じ)」にある部分も非常に多いです。
「わかり」だけで構成された作品は、論理ゲームや推理小説の如きものとなり、アートから離れてゆき到底面白いものとは言えなくなるからです。
「わからなさ(感じ)」は「美」「衝」「語」に強く寄与していると思って頂ければ、鑑賞には差し支えありません。
 
また、アート鑑賞においては、作家本人の話すコンセプトを過剰に意識することはありません。言っていることとやっていることが合っていればOK、合っていなかったらマイナス付けるくらいの感覚で良いと思われます。
「作者は作品のお守りして回れるわけじゃないんですよ。」で無問題でしょう。
 
また、アートにおける「これ既出?」という知識は非常に重要ですが、そのあたりの判断は値段つけたりする専門家に任せておけば良いと思うほど大量の情報になります。
もちろんプロはそのあたりの勉強が仕事ではありますが、普通に美術を鑑賞レベルに於いては、そこまで関係ないファクターでしょう。
いや、鑑賞する上でそういうの好きな人は好きで問題ないし非難するつもりは毛頭ございません。あしからず。
 
では始めます。
例)「おっさんがのびたの格好をして町を練り歩いたり、みんなの質問に答えるよ!」
・それ単なるコスプレじゃん。(コスプレはシンディー・シャーマンや森村誠一もやってるし)
・そもそもそれ2次制作だよね。(アプロプリエーションも90年代に流行った古い手法だし)
と「初」ポイントは「説」と共にマイナス。
「美」についてはコメントしたくないですね…。
雑なコスプレで「技」にもポイントは入らない。
ただしインタラクティブアートとしてのコスプレは、インパクト「衝」および物語性「語」が強いので、正直、全体の戦闘力は演者(特)次第。
つまり本人が特別に面白ければ、まあまあ戦えるコンセプトなんではないでしょうか…。
 
例)この板はとある村で側溝の橋代わりに使われたものじゃった…その姿を写真に取った後、板を持ち帰り写真と一緒にギャラリーに展示するよ。
・あるモノの役割を引き剥がし、ギャラリーというホワイトキューブに赤裸々に展示することで、単なる板が社会における役割を剥がされた人間のように感じられる…。とか適当に言いましたが、「説」ポイントは普通に高い。村のほっこりエピソード(田吾作がこの板でいつも滑るんじゃ)も一緒に展示すれば 「語」も上がりそう。
 コンセプトの「初モノ度」はどうでしょう…「役割」について切り込んだアートって多いですが、これが新しい解釈なのかは寡聞にして聞かず…わかりません。赤瀬川原平さんあたりが手を付けてそうではありますが…。(適当)
・まあ、単なる板なので「美」「技」は低。
・「衝」、単なる「物」をギャラリーに置くこと自体は超ありふれているので、低。
と、ビジュアル面はボロボロですが、コンセプトの初モノ性が担保されているのであれば、問題提起型のアートとしてやっていけそうな感じはあります。
コテコテの金髪美女さんを参加させて、田吾作さんに「オーグレイト!」とか言いながら板を強奪したりしてる映像を添えたりすると、文化的断絶感とかが際立ってなお良いと思います。
 
 
このあたりからガチ勢に参りたいとおもいます。
Felix Gonzalez(フェリックス・ゴンザレス)氏の Untitled(portrait of Ross )

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© Felix Gonzalez
 
エイズで死にゆく恋人の体重と同じ重さの飴を置いて欲しい。 鑑賞者は自由に飴を持っていってくれ。置き方、飴の中身、包み紙は好きにしろ。
 
これは現代アート上もっとも評価しやすいと豚が思う、超優等生的作品である。
飴が減ってゆくことで恋人の命が刻々と失われている様が可視化される、そしてそれは無意識に無慈悲にそして着実に行われることだ。といったメッセージ性を強く感じる。
また、鑑賞者がそのコンセプトを知っていたとしても、知らなかったとしても、作品の共犯関係に自然な流れで参加させられてしまう。そしてコンセプトを後から知ったときの胸の疼きは、独特のものである。※私も横浜トリエンナーレで無慈悲に飴を舐めてから気づいた口であった。
え、この飴って勝手に取っててもいいの?という斬新な展示方法も衝撃的だし、飴の袋が大量においてある様はミニマルな美しさがある。
つまり「技」以外のほぼ全て(置き方等については放棄しているし)が、作家の決め事だけで高得点となっている、 もちろん「所有」することが出来ないアートではあるが。 非常に稀有な作品と言える。
 
 
Chris Ofili ( クリス・オフィリ )氏のThe Holy Virgin Mary(聖女マリア)

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© Chris Ofili
 
黒人の女性をプリミティブに描きました、題名は聖女マリアにしたわ。 台座は像のうんこですわ。
確かに、出エジプトしたナザレの民が黒人でも別におかしくないんだけど、イエスとかマリアって白人に描かれているよね。
これって根源的、無意識的ば人種差別じゃない?といった問題提起なんですが…挑戦的過ぎ!
そして敬虔且つ狂信的なキリスト教信者の猛攻を受けることで知名度が急上昇し、アート、人種差別などに百石投じた、歴史的作品。
※炎上した後はちゃっかりと高く売られたという…。
「美」:ちょっとアレです、そこまで好きじゃない。
「技」:うんこは自然に乾いたものを使用したんでせうか、特殊な乾燥とかされている?高温多湿な日本では耐えれるの?
「衝」、「説」、「語」、「特」:最強です。叩けば叩くほど説得力、メッセージ性が高まるという魔人ブウのような作品。炎上商法の走り。好きかどうかはともかく評価せざるを得ない アートです。
 
ちなみにオフィリさんは、その後割りと穏当なプリミティブアートっぽい作風に落ち着いたという。イイネ!
 
 
村上隆  「My Lonesome Cowboy (1998)」

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©Takashi Murakami  Francois Pinault Foundation for Contemporary Art, Venice
 
本日の最後は、村上隆氏の16億円で落札された作品で〆とさせていただきます。
村上隆氏は、「スーパーフラット」という概念を引っさげて、アート界に殴り込みに出かけていった勇敢なアート居士であります。
スーパーフラットは50文字でまとめると「琳派日本画など日本独特の平面的表現とアニメーション、漫画などの表層的表現をパクって外人に見せに行く。
 
くらいの感覚で理解して頂ければOKです。
「美」:プラスティックの質感に恒久的美を感じるのは難易度高いと思います。
「技」:海洋堂に作ってもらっているので、質は良いのではないでしょうか?
※ただし「美」、「技」については他人、過去のものを流用するというシミュレーショニズム的なコンセプトから鑑みても「初モノ」ポイントを高くつけることは難しいと思われます。
「衝」:外人さんに強力なインパクトを与えた。高ポイント。
「説」:西洋主体のアート文脈にアニメで殴り込みをかけた初モノ感の高さとその侠気、オタク文化へのアイロニーを内在したテーマなどにより、ポイントが大きく付きます。
「語」:このビジュアルから背景物語を想像するには多大な妄想力が必要です。
「特」:とにかく「オタク日本人としての村上隆」「16億円作品」この2点によりポイントを買い支えております。
 
冷静に評価すると、配点はクリスオフィリ氏から「メッセージ性」を抜いて札束を上乗せした感じとなりますので、いわゆる「インパクト」偏重型な作品と言えるでしょう。
オークションでの16億円は特殊性癖の好事家による競り合いがあったと言われておりますが、ついた価格はもちろん本物となります。
アート界を俯瞰してみますと存命最高の作家の場合は作品一点50億となる世界なので、アートポイントと値段的な点から診断した村上隆氏のアート界での立ち位置は「ニッチ」もしくは「一発屋」あたりと推測されます。
これは漫画界に例えると、正道からは少々遠く「村野変丸」さんあたりの ポップなエロカルチャーあたりを代表されているように見受けられます。
 
もちろん、アート界の手塚治虫。いわば正統な日本文化の継承者感を出そうという大望の為、昨今の作品では伝統的モチーフや逆にアニメ制作に手を伸ばしているようですが、国内の評判は今ひとつ、国際的には黙殺となっているように聞こえます。
おそらく、氏が手にするべきは圧倒的なオリジナリティ。
但し、アートの基準はあくまでコンテクストで決まると宣う氏の主張を信じるのであれば、現在のコピー手法で作品制作を続けていくことでしょうから、望む立ち位置が手に入るのは暫く先になるのではないでしょうか?
 
 
…このように、美術豚 水見式による評価を駆使して、今後もちょくちょく現代アートを紹介してゆこうと思います。
次はもうちょいペインティング寄りにしたいと思います…。
宜しくお願い致します。